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沿革

発足から移転まで

 本専攻は、本学の開学直後、教職課程を担当する研究室として出発した。その後、1954年(昭和29年)に教育学専攻となり、1964(昭和39)年に修士課程が発足した。1970(昭和45)年には1講座増設が実現するとともに博士課程が発足し、学部・大学院の教育・研究体制が整った。
 教職課程担当から出発したことから、全学の教職課程の運営、特に教育実習の運営についても中心的役割を担い、教育実習委員会の委員には、本専攻の全教員がなっている。また、教職専門科目も担当している。さらに、社会教育主事の資格科目も担当してきた。

移転構想

 本学の移転が日程に上った際に、立川基地跡利用の「将来計画案」が、1977(昭和52)年12月に発表された。そこには、教育学科・社会教育学科・体育学科からなる教育学部の新設が盛り込まれていた。そのときに本専攻が作成した「教育学部設立の趣旨と構想」(1978年2月)によれば、教育実践と結びつき、同時に広く他の専門諸領域と結びついた教育学の研究・教育が目的とされていた。また、幼稚園から高等学校までの付属学校が構想されていた。しかし、この教育学部構想は最終計画に盛り込まれなかった。

移転後の運営

 1991(平成3)年移転に伴う学部改組により、本専攻は心理学専攻とともに心理・教育学科の一専攻となった。心理学専攻と同じ学科に属したとはいえ、運営は相互に独立して行われてきた。1994(平成6)年には、教育心理学講座が増設され、教育原論、学校教育、社会教育、教育心理学の4講座体制となった。
4講座体制となった1994(平成6)年の4月から山住正己教授(1972年助教授として着任)総長職に選任され、続いてよく1995(平成7)年に坂元忠芳教授(1975年助教授として着任)、1996(平成8)年には小沢有作教授(1967年助手として着任)が退職された。いずれの教授も、それぞれのスタイルで教育・研究に熱心に取り組まれ教育学専攻の一時代を築いた。山住ゼミでは、ゼミのレポート、ゼミ通信などの記録をまとめた『碑』が作られ、 20号を数えた。坂元教授は、学生自信の問題を研究に結びつけ、ゼミ・合宿で討論を組織するとともに、退職に当たり11年間にわたる一般教育科目の教育学の講義を『感情と教育』という冊子にまとめられた。小沢教授は、自分から出発する、他者と出会う、アジアから見る視点を欠かさないという観点から授業を行い、『ねぎぼうず』を発行した。

移転後の特徴

 本専攻の研究・教育の特徴は、民間の教育実践と深く結びつくことにあった。それは、授業科目に活かされ、1974(昭和49)年から、民間教育運動の体験者を講師に迎えた「教育実践史」が開講された。1984(昭和59)年前後から、次第に現職の教師を講師に迎え、「教育実践」と称するようになった。また、非常勤講師によってアジア・アフリカの教育についての講義が開講されたのも特色であった。

深まる国際交流

 移転後、国際交流が盛んになり、1991(平成3)年にニューヨーク市立シティカレッジの教員と「国際化時代に教育を考える」というセミナーを開催した。その後、個々の教員により、アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国の研究者とのセミナーが開かれている。

多彩な学会活動

 また、学会や民間教育団体の役員をしている教員が多く、日本教育学会、日本社会教育学会、教育科学研究会の研究大会および社会教育全国研究集会が本学を会場にして開かれた。学生・院生への指導:本専攻の必修科目は、初期の一時期を除いて、長い間卒業論文のみであった。しかし、移転前後から、教育学の基礎的な教養の形成が課題とされ、1995(平成7)年度から、「教育学入門」を2年生の必修単位とした。

(参考資料:『東京都立大学50年史』)

首都大学東京への移管と教育学研究室

 2005年度より東京都立大学は首都大学東京へと改組された。2003年・2004年度の東京都立大学総長は本研究室教授の茂木俊彦であった。茂木教授は首都大移管反対運動の先頭に立って奮闘された。民主的な大学運営を東京都に求めた茂木教授の闘いは、民主的合議を重んじてきた教育学研究室の伝統にもふさわしいものであった。